懐剣の重さ  







 棒を掴む手の感覚は、ずっと前からない。踏み出す右足も、雲をふむような曖昧なものになっている。頭上まで上がらない腕を認めると、 棒から手をはなした。足元で棒がころがる乾いた音を聞くと、疲労が波のように襲いかかってくる。地に膝をつき、それから両手で体を 支えるようにしながら荒い呼吸を整えていた。
「棒を二刻振るように、いったはずだ。まだ一刻もたっていないだろう」
「剣の使い方を教えてほしいといったのに、どうして棒を取らなければいけないの。長さも重さも全然違うじゃない」
 地にぺたりと腰を下ろしたまま、アシュヴィンを睨んだ。皮肉な笑いを浮かべると、腰に佩いた剣を紙でもあつかうよう軽々と投げてよこした。 千尋は身体でしっかりと受け止めたはずなのに、剣の重みで体勢を崩しそうになる。アシュヴィンに気づかれないよう、抱えた腕にそっと力を込めた。
「鍛練をおろそかにするようでは、剣を扱う資格はないな。それでも抜くことはできるだろう。俺はこっちで十分だ」
 千尋が捨てた棒をつかみながら、アシュヴィンが言った。
「やっと剣の扱い方を教えてくれる気になったのね」
 めいいっぱいの強がりだとわかっていた。すらりと剣を抜くことで、アシュヴィンに対抗したかった。それなのに剣の重さに耐えられず、鞘を捨 てる形で刀身をあらわにした。
「女だからと容赦はしない」
 厳しい口調に似合わず、棒を持った右手は体の横におろしていた。気迫の感じられないゆったりとした姿勢で、アシュヴィンは立っている。自分が、 剣を振り下ろす勇気がないと思っているのだろう。アシュヴィンを想う心の弱さを見透かされたような気がして、静かに剣を握りなおした。弓を引く ときの感覚を高めると、ためらうことなく踏み込んだ。
 剣を通してしびれるような感触が腕を伝った。千尋の額をさすように、棒がつきだされている。アシュヴィンが左手だけで、 剣を器用に鞘に納めるのをみて、手が空いているのを知った。
「私には、剣は向いていんでしょう。それならそうと、はっきり言ってくれたらいいじゃない」
「二刻の棒振りに堪えられない千尋には、俺の剣は無理だろう。鍛錬しだいでは、相手に一太刀浴びせることが できるかもしれないな」
「私をからかっているの?」
「武器には向き不向きがある。思い切りのいい千尋には、こっちがいいだろう」
 アシュヴィンが手渡したのは、袖で覆い隠すことができるほどの剣だった。易々と鞘から抜いた刀身にそっと、指の はらをあててみた。
「触るな、指が落ちるぞ」
「えっ!?」
 慌てて手を引っ込めたときには遅く、指先に鈍い痛みを感じた。
「この短い剣を持って、戦えというの」
「戦に出ろといったことは、一度もないはずだ。だからといって俺がどんなに出るなと言ったところで、大人しくしている千尋では ないからな」
「わかっているじゃない。それなら戦で足手まといにならないよう、剣術を教えてくれてもいいでしょう」
「俺の首を取りに来ることはあっても、生かして利用することはまずないだろう。千尋はその逆だ。生きて捉えることに価値がある」
 不快な響きを含んでいた。アシュヴィンが自分を隣におく理由と同じではないかと、憂鬱な気持ちになる。
「みんなと同じように剣を扱えるようになれば、そんなことにはならないわ」
「全力で千尋を守る、その言葉に偽りはない。だがどうしても俺が守り切れなかったとき、この懐剣で拓けることもあるだろう」
 アシュヴィンがかすかに笑ったようにみえた。浮かべた笑みが自嘲というより嘆きに近いと感じたとき、千尋は二ノ姫という わずらわしい地位を思った。捉えられたことで中つ国が相手の手に渡ることになるだろう。どんなに抗ったとしても 時間稼ぎにしかならず、抗ったぶん民にその被害が及ぶに違いない。アシュヴィンから受けとった懐剣に、重みが増したような 気がした。
「私が命乞いをするようにみえるの。相手の情報を一つでも多く聞きだしてみせるわ」
 懐剣を胸にあてたところを想像してみる。力をいれなくとも、心の臓には易々といきつくだろう。
「頼もしい言葉を聞くことができるとは思わなかった。俺の前でも、その大胆さを見せてほしいものだ」
「ちょっと、アシュヴィン!?」
 いきなり腰に手をまわされ驚いた。
「俺が嫌いか?」
「好きとか嫌いの問題じゃなくて、こんな真昼間に誰にみられてもおかしくない場所で……」
「隙をつくる千尋が悪い。こんなことなら、誰にでもあっさりつかまってしまうな」
「そのときは、自害すればいい」
 鞘のついた懐剣を自分の胸に当てた。
「この剣で相手を仕留めることもできる。俺も戦で無様な死に方をするくらいなら、千尋に突かれたほうがいいな」
「アシュヴィンに、そんなことできるわけがないじゃない」
「あたりまえだろう」
 当然のように言い放った。自分がアシュヴィンを好きだということに絶対な自信を持っている。その自信はどこからくるものなのか。お互いはっきり と口にしたわけではないのに、二人でいることが自然になっていた。どんなに近くにいてももどかしと感じていたのは、アシュヴィンが 決して本心を見せようとしなかったからだ。
「アシュヴィンは、私のことをどう……」
「戻ろう。俺達がいないと、そろそろ宮のなかが騒々しくなっているころだ」
 指笛を鳴らし、愛馬の黒月を呼んでいる。黒馬なのに首のところが三日月のように白くなっているところから、黒月と名付けたときいたことがある。 黒月の首を抱くようにして軽々と馬に乗ると、千尋にむかって手を差し伸べた。
 また肝心なことを、はぐらかされた。騎乗したらアシュヴィンは、必要以外は口にしないのだ。アシュヴィンの前に腰を下ろすと、 黒月がゆっくりと駆けはじめた。
「黒月は俺しか扱うことができない。嫌がらないところをみると、千尋も気に入られたらしいな」
「アシュヴィンがいっしょだと、私に限らず誰でもいいんじゃないの」
「千尋らしくないな、なにを拗ねている」
「別になにもないわ」
「こう言えばよかったのか。黒月に女を乗せたことはない、乗せたいと思った女がいなかった」
 背にアシュヴィンの体温を感じた。呼吸がうるさく耳につくのは、気のせいだろうか。
「今夜、千尋の部屋を訪う」
 アシュヴィンが馬腹を蹴った。黒月の首にしがみつきなんとか振り落とされないようにすることで、言葉の意味を深く考えずに すんだことはありがたかった。けれどもアシュヴィンが千尋の部屋を訪ねるという事実は、変わらないのだ。
「待っているわ。だからアシュヴィンも、ちゃんと来て」
 アシュビンに負けじと、きっぱりと言った。
「千尋はおもしろいな、今夜が楽しみだ」
 息づかいまで聞こえてきそうなほど近くでそう言うと、アシュヴィンは弾けるように笑っている。
 黒月の背にゆられながら、千尋は自分が口にした言葉を後悔した。








         











○● あとがき ○●
千尋にアシュヴィンのごっつい剣を持たせたかったのです。 それともう一つ、剣をすらりと抜くんじゃなくて、あまりの重たさに鞘を捨てるように刀身を露わにする シチュを入れたかったのです。これでアシュヴィンの力強さと、千尋のどんなに強がっても女子の力の 弱さを表したかったのですが、気がつけばさーとなでただけで終わってしまった(苦笑) アシュ千では、相変わらず血筋の良さに拘っていますね、ワタシ。 囚われた千尋が敵方の慰みものになるのを、アシュは恐れているのですよ! 彼は独占欲が人一倍強そうなので、お手つきになった千尋をどう扱っていいかわからないみたいです。 聡い千尋なので懐剣を持たされた意味をすぐに理解し、それがアシュにとっては堪らなくいじらしいよう(笑) その夜千尋の部屋を訪れたアシュヴィンは、自室に戻らないでしょうねー^^ 寸止めな書き方に、たまらく快感を覚えるのでしたv











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