Military Command  








 斥候をかって出たサザキが戻るのを待たずに、柊はセピア色の紙を広げた。身を乗り出すようにしたのは布都彦で、アシュヴィンと忍人は、
紙のうえに重く視線を落としている。紙に刻まれた皺より、柊が書きこんだ文字のほうが圧倒的に多かった。戦に絶対の勝ちなどない。まし
てや常世のムドガラ将軍の大軍に寡兵で立ち向かうには、地の利を生かすしかないと柊は信じていた。十津川周辺は岩の一つ一つ、木々
の枝葉まで頭に鮮明に描くことが出来るのに、天候はもちろん風向きや地の乾きまでを、執拗なまで地形図に書きつけていた。
 十津川を超える、ただそれだけでいい。
 それ以外の考えをすべてを吐きだした地形図から、柊が顔をあげた。
 


「前線は忍人に任せる。葛城将軍と聞けば胴震いするほど、常世の兵に名は轟いている。初めに力を示せば、相手の戦闘意欲を削ことが
できるでしょう」
 十津川と並行になるように、薄紙のうえをなぞる。
「俺は勝ち戦なら命を賭けても一向にかまわん。ただ悪戯に、狗奴を死なせるわけにはいかないのだ」
 刀で斬りつけるような、鋭さが言葉に含まれていた。柊に押した背信という烙印は、数回ともに闘っただけでは忍人から消えないのだろう。
鋼のように真っ直ぐな気質を刺激するより、軍人として忍人と接するしかない。
「死なせるどころか、掠り傷ひとつさせる気もないのですが」
「お前の言うことは、信用ならないからな」
「忍人、最後まで柊の話を聞こうじゃないか」
 考え事の邪魔をするなというよう、アシュヴィンが静かに口をひらいた。腕を組んだまま、十津川と離れた一点に目を凝らしている。
「陽が昇るのを待ってもらう。そして、ここには」
 十津川の三里手前の平原を指さし、
「間違っても突っ込むなよ、忍人」
 と柊が口元だけで笑った。
「どうせ罠でもしかけたのだろう、関心せんな」
「ここにあるのは自然に出来たもの、それを利用しようとしているだけです」
「どこか胡散臭い」
「騎馬でむかってくる敵兵に、馬から降りてもらうだけなのです。そうすれば歩兵を率いる忍人と、戦う条件が揃うでしょう」
 はっと息を飲んだことで、忍人が理解したことがわかった。兵学を学んだならばほとんどの者が知っている古典的な方法だ。けれども実行
するとなるとかなりの時間を要するので、実際行われたことは少ない。
「騎兵であれ歩兵であれ、俺の戦に変わりはない。大将軍二ノ姫が軍師を柊に指名したのだから、この策に従うほかはないだろう」
 どこか吹っ切れた表情で言った。この策にのったふりをして、自分の戦をしようとしているのだろう。柊はそれでも、構わなかった。戦の前に
仲間同士が衝突する方が、はるかに危険なのだ。わずかな気持ちの歪みが命取りになることを、幾度となく見てきたから。
「布都彦、ここに到着するまでどれくらいの時を要する」
 忍人が陣を構える側面を、柊が指した。地形図をみるだけではここから一刻とかからない距離だが、傾斜が激しく足場も悪いところを通らな
ければならない。
「灯りを持たずに移動となると、二刻はいただきたい。二刻以内に必ずや、到着してみせます」
 若者らしい、はつらつとした声が響いた。
「夜が明けるまでに、道臣の協力を得てここで伏せていてもらいたいのだ」
「姫のためなら、道臣殿は進んでこの戦に加わるでしょう。私は葛城将軍の援護に当たればよろしいのでしょうか」
「それだけでは、布都彦の槍は納得しないでしょう。我が君があのような目にあったばかりでは――」
「柊殿……」
 布都彦の顔が、さっと曇った。千尋が手負ったのは、布都彦でも誰のせいでもない。
 あのとき覆っていた布が強風に煽られ千尋の顔が露わになると、敵兵から「中つ国の二ノ姫だ」という声が上がった。瞬く間に千尋に向かっ
て雪崩のように敵が押し寄せ、自らの体を盾にした風早を庇いながら軍を引かせたのだ。完敗、声にしなくても誰の胸にもその言葉が重くの
しかかった。
「忍人と対峙している兵を撹乱するのだ。軍を分断するようにみせかけ、押し包みながら前進してもらいたい」
「それを迎え撃つのは」
「俺なんだな」
 布都彦の言葉を受け取るよう、アシュヴィンがこたえた。
「潜伏する場所はすでにおわかりでしょう、アシュヴィン殿」
「この山頂に俺の騎兵を潜伏させ」
 ずっと睨んでいた一点をアシュヴィンがこつこつと指で鳴らし、
「忍人と布都彦が追い込んだ兵に逆落としをかける。それで、いいんだな」
 と満足気に笑った。
「一つ確認しておきたいのですが、ムドガラ将軍といえばアシュヴィン殿と同じ常世の者。情けが出てしまうと十津川を突破出来ないどころか、
我が君に――」
「千尋に協力すると誓った言葉に、二心はない」
「悪く思わないでください。寡兵で臨む戦に不慣れな、私の小心からきたものです」
 柊はうやうやしく頭をたれた。
「柊、敵兵は蹴散らすだけでいいのか?」
 いつものアシュヴィンなら、剣を高く振り上げ自ら叫んでいただろう。それをせず、あえて柊の口から言わせようとしている。一介の兵士と戦
に臨む姿勢にも驚かされたけれど、千尋が任命した軍師から発せられることによって及ぶ効力を考えてのことであれば、敵に回すと厄介だな
と柊は目を細めた。
「殲滅しかないでしょう」
 場の空気が、冷やりとするのを感じた。殲滅の命がでるのは弔い合戦か、そうでなければ暴徒の愚行だ。忍人の反論を覚悟していたのに、
じっと目を閉じたままでいる。
「私は先にここを発ちます」
 大槍を短く掴んだ布都彦が、しっかりとうなずいた。
「落ち合う場所は十津川を超えた向こう岸、日が暮れるまでに姿がなければ、さきへと進みます」
「この戦、柊殿の策に武運があるでしょう」
「それからもう一つ、退路の用意はありません」
「退路ほど無駄なものはないだろう。逃げ道があると、裏切り者がでるからな」
 忍人が柊にむかって、薄く笑った。
「私にも退路の必要はありません。姫をお守り出来るのであれば、この命惜しくはないのです」
「俺も向かうとするか。その前にリブに話をしないといけないからな」
 アシュビンと同時に腰をあげたのは、忍人だった。
「では、後ほど」
「十津川で、会うとしよう」
 仲間を見送るかたちで、柊は外へでた。
 夜空を仰ぐと、ひしめき合うよう星が並んでいる。
「我が君は、天の星をも支配するようですね」
   








○● あとがき ○●

八葉で、ハードボイルド!って感じを書きたかったのですが、気がつけば柊が主役です(笑)愛読書「水滸伝」の萌えキャラというかポジションに
「遙か」の面々を置き換えたのでした。軍師は、柊以外考えられません。手負いの千尋に「柊、お願い」と、十津川越えを任されたので、敵対心
むき出しな忍人も小反発しながら従います。忍人は、本隊主力部隊大将。大将軍千尋を常にバックにかかえている、絶対勝ちを取らないといけ
ない最重要軍を率いています。アシュヴィンは、騎兵隊大将。乗っているのは黒麒麟だけど、私の中では毛並みの良い黒馬なのですよ(笑)
スピードと、思い切りのいい戦っぷりが売りです^^実践を積んでいるので、戦の組み立てや奇襲が得意だったりします。この話では、柊の地形
図をみながら、自分がいるべき場所をぴしゃり当てるという、戦に関する閃きもなかなかのものです。布都彦は、若くて勢いがあるので遊撃隊。
敵を崩すとか、撹乱するとか、機動を得意とします。八葉の中で一番の槍の使い手なのですが、若いし実践経験が浅いので敵にその力をあま
り知られていないのでした。そこが強みで、無名だからこそ敵兵が油断して、その結果潰走することに。冒頭に名だけ登場のサザキは、斥候
大将。偵察から戻って、ムドガラ軍の陣の位置や柊がいっていた地形を生かした罠や、アシュヴィンが潜伏する山の傾斜等を報告するはずだっ
たのですが、登場人物が多すぎて戻らずじまいです(苦笑)柊・忍・布・アの四人で、戦開始前のほどよい緊迫感が出たのに、サザキが加わっ
たらそれがオールクリアになりそうだし。続きで、登場してもらいます。
残る八葉の遠夜は薬師で手負いの千尋につきっきり、風早、那岐の現代組は姫の護衛担当なのでした。作中では風早が千尋の盾になって
いるなど、贔屓キャラはこっそりベストポジションについているのでした。
「八葉で、ハードボイルド!」同門編等、シリーズ化を目論んでいるのでした。












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