勝利の美酒  








   既定伝承をいくどとなく繰ったので、見落としているはずはないだろう。この戦に関してなにも記されていないことをどう解釈すればいいのか、 柊はわからずにいた。健やかに成長した二ノ姫と再会してから、伝承の在りようが変わったと捉えた方がいいのかもしれない。結果は同じでも行きつくまでの過程が異なっていたり、全く記されていないことも今回が初めてではなかった。地形図に書きつけるように、自分が記すことで既定伝承が継がれていくことに戸惑いを覚えながら、それも悪くないという思いもある。器に注がれた酒に、そっと口をつけたときだった。
「説明してもらいたい」
 忍人が正面に腰をおろした。破魂刀を佩いた姿から、薄く戦の緊迫が漂っている。
「勝利のあとに、酒の振る舞いがあってもいいでしょう。道臣からの差し入れだ、遠慮なく いただきましょう」
「酒のことを聞いたんじゃない。馬が足をすくわれるように崩れ、敵兵が投げ出されたことだ。 あのあたりの沼沢は、調教されていない馬でも易々と駆け抜けらるところだ」
「地の利を生かしただけです。サザキに手伝ってもらったことはあったが、それは偶然にすぎない」
 甕から直に汲んだ酒を差し出しても、忍人は目もくれない。
「呪いでも使ったか」
「偵察の途中、蔓草をみつけたら集めておくようにと頼んだのです。夜間の行軍では、わずかな 障害が明暗をわける。そのまま放置しておくと敵兵に火をかけられることも考えられるので、沼にでも捨て置いてくれと」
 戦の前夜、十津川の三里手前の平原に間違っても突っ込むなと忍人に念押しした場所に、その沼 は広がっていた。平原が見渡せるところに陣を敷いた忍人は、馬蹄が聞こえても 動こうとはしなかった。敵兵が平原まで二里と迫ったとき、ようやく出撃の合図を出している。忍人自ら 先陣を切った。違うとわかっていても、柊には地が沈んだようにみえた。沼沢に差しかかった騎馬隊が揃ったように、 がくんと一段低くなったから。蔓に足を取られた馬は、大きく首を振ったり嘶きながら、背 から人を振り落とす。投げ出された敵兵は立ち上がる間もなく忍人の軍に容赦なく叩かれ、沼の手前でなんとか踏み とどまった騎馬は体勢を立て直すまえに、布都彦の大槍にかかることとなった。
「丸腰の相手に剣をむけることほど、不愉快なことはない」
 酒のはいった器をひったくると、ぐいと一息で飲みほした。
「軍人なら毒に当たって命を落とすより、戦場での死を選ぶものでしょう」
「お前と戦の話をしようとした俺が、どうかしていたようだ」
 首を横に振りながら、忍人が腰を上げたときだった。
「反省会とは、熱心ですね」
 背から剣を外しながら、風早がいった。そのあとから、アシュヴィンと布都彦が並んで顔をみせた。
「風早はあの沼に沈められていた蔓をどう考える?卑怯な罠など仕掛けなくても、十分戦えたはずだ」
「ムドガラ将軍率いる大軍を破り、仲間が一人も欠けることなく集うことができた。今回は、それでいいじゃないですか」
「しかし……」
「風早の言う通りだ。それより忍人、大槍一振りで数人をなぎ倒す布都彦をみたか。胸がすく、動きだったじゃないか」
 アシュヴィンが感心したようにいった。酒の入った器を並べながら、柊も同じことを考えていた。大槍を身体の一部のよう しなやかに操る布都彦の姿に、魅入られるよう敵兵は斃れていったのだ。
「私は、任務をこなしただけです」
 目の前におかれた酒に視線を落したまま、遠慮がちに答えた。
「布都彦も飲んだらいい。酒は初めてではないでしょう」
 と風早がさりげなく、それでいてしっかりと酒をすすめている。
「布都彦と立ち合ったら、葛城将軍といえども危ういのではないか」
 アシュヴィンが、にやりと笑った。
「仲間内で腕比べとは、あまりにもくだらない」
「この際、誰が一番強いかはっきりさせておいた方が、いいかもしれないぞ。そう思わないか、柊」
「私は余興として、立ち合いをみたいですね」
「大将軍二ノ姫の命を受けた軍師柊の意向だ。忍人と布都彦、いいものをみせてくれ」
 甕から汲んだ酒をうまそうに飲みながら、アシュヴィンがいった。
「葛城将軍とは以前手合せをしたことがあり、力の差はわかっております」
「忍人の手の内はお見通しだと、俺には聞こえたぞ。力で示すのが、お前のやり方じゃないのか」
「順序というものを知らないのか。先に言いだしたアシュヴィンが、布都彦と武器を交えたらどうだ。山から馬で駆け下りる だけでは、動き足りないだろう」
 アシュヴィンに身を乗り出すようにしながら、忍人が挑発した。
 忍人と布都彦の挟撃を免れ潰走をはじめた兵は、山へ寄るしかなかった。大将を失った軍とはいえ、自軍の倍の数はあっただろう。 アシュヴィン率いる騎兵隊は、押し寄せる敵兵が射程内にはいるのを辛抱強く待つ。最後尾が山へかかったのを認めると、中腹から 騎馬隊が湧いてでた。アシュヴィンを先頭に駆け抜けた後には、敵兵をみつけることはできなかった。
「言われてみればそうだな。剣を一振りしただけでは、戦をした気にならない。布都彦、手加減なしでいくぞ」
「アシュヴィンの遊びに付きあうつもりで、相手をすればいいさ」
 風早が布都彦の肩をだきながら、小声でいった。布都彦は体をじっと固くしている。なんの答えも返ってこないことを心配して 「そう思いつめるな、気楽にいきましょう」と、風早が覗きこもうとしたときだった。
「望むところです」
 すっと立ちあがったと思った時には、手にした槍を薙ぎ払っていた。布都彦が空にした器が、地をころころと転がっている。
「アシュヴィン殿とは、一度手合せ願いたいと思っていたところです。この勝負私が勝ったら、姫に対するぞんないな口利きは やめていただきたい」
「千尋を賭けての勝負か、面白いじゃないか」
 アシュヴィンが剣を抜きはらって中段に構えた。対峙する二人から、強い気が立ち上るのがわかる。お互い武器は振るわず、気だけの ぶつかり合いが続いていた。
「あの二人が本気でやりあったら、止めに入ってくれ。アシュヴィンをけしかけたのは、忍人ですから」
 風早がそっと忍人のとなりへと移動していった。
「布都彦に酒を勧めたのは、風早だろう」
「まさか飲み干すとは思わなかったしな。ここまで酒に弱いとは――」
「この勝負、しっかり見届けてもらわないと困ります」
 槍の穂先を目の前に突きつけられ、風早は胸の前に両手を上げうんうんと頷いた。
「我が君も罪ですね。好漢二人を簡単に命がけにさせるのですから」
 柊は酒を飲みながら悠長にいった。アシュヴィンと布都彦は、立ち位置が入れ替わることはあっても、武器を交える ことはまだない。
「二ノ姫を想っているのは、二人だけではないだろう」
「忍人もそうだったのか。戦のことしか頭にないと思っていたが、女の話もできて嬉しいですね」
「なっ!?俺のことを言っているのではない!そういう風早はどうなんだ」
「俺は好きですよ、千尋のことを」
 躊躇することなく、さらりと言ってのけた。
「風早……?」
 黒い影が動いたあとには、風早が酒の入った器を手にしたまま突っ伏していた。
「終始我が君のそばにいた風早が、誰よりも緊張を強いられていたのでしょう」
「お前と違って、ぺらぺらとしゃべる男ではないからな」
「さて面白い立ち合いをみながら、ゆっくり酒でも飲むとしましょうか」
「酒なら勝手に一人でやってくれ。俺は戻る」
「風早をここにおいてですか。風早を担いででようとしても、布都彦が通さないでしょうね」
 無言で立ちあがった忍人は一抱えもある甕をつかむと、ずるずると引きずっている。風早から器を奪うと、手首がつかるのも 構わず酒を汲んだ。
「この勝負に勝った者は、俺が相手をしよう」
 器を高く掲げて、忍人が叫んだ。
     











○● あとがき ○●
「八葉で、ハードボイルド!」第二弾は、酒席での腕比べです(笑)
軍師柊は、ハードボイルドに欠かせないキャラになりつつあります。柊とセットで忍人も(笑) 前作「Military Command」の柊の策に、納得できない忍人がいきなり絡んでいます。ムドガラ将軍の 主力は騎馬隊と勝手に設定。対する忍人率いるのは歩兵隊なので、闘う条件を同じにするため敵兵を 馬から引きずり降ろそうと、沼に蔓草を沈めるという罠をしかけたのでした。大軍に勝つためには手段を 選ばない軍師柊と、どこまでも正々堂々と闘おうとする軍人忍人と価値観の違いは大きいのです。 柊と忍人は考え方の交わることのない関係が、出来あがっているのでした。
忍人、布都彦、アシュヴィンの漢・三人は、戦馬鹿命という括りで取扱中。 自分の腕を絶対的に信じているのですよ、この三人は(笑) ほんの少し自尊心をくすぐるだけで、武器を手に取り、いつでもどこでも戦モードオンです♪ 昼間の鍛練でもいいのですが、夜に酒が入ったときの素の部分が見えるときの立ち合いのほうが、 絶対美味しいのですよ!! 戦上手であればあるほど、それ以外のときに腕比べなんて子どもっぽいことをされたら、愛しさ倍増 なのでした(笑)
酒が入ると、布都彦は姫大好きが全開します。彼は真面目だから、弾けたときは要注意です。 槍の使い手だから、暴れ出したら面倒なことになりそう。
アシュヴィンは酒が強いというより、いつも俺様なのでそのまま変わらず(笑)
忍人はぽろりと姫好きを零しますが、理性が邪魔をしています。姫への想いはセーブできても、 戦モードは止められません。戦に関しては、布都彦に次ぐ取扱危険人物です^^
風早は酒は弱いけど酒席の雰囲気は好きだと思うのですよ。酒に関係なく本気とも冗談ともとれる 発言をしています。彼はいたって真面目に答えているつもりでも、周りはそう受け止めていないのが 良いのか悪いのか(苦笑)
柊は、八葉の中で一番酒が強そう。乱れることなく、もくもくと飲むイメージがあるのです。 武器を振り回している仲間を肴に、既定伝承のモトになるものを書きつけているオチなので した。











* プラウザを閉じてお戻りください *
                      inserted by FC2 system