紡ぐ言葉






   紡ぐ言葉








 人に関心がないとばかり思っていた泰明が、私に言い募ってきたのですよ、神子を退屈させないようにしてくれって。ころころと
声をたてて笑う晴明の北の方に、あかねは曖昧に相槌をうつしかなかった。土御門に戻りたい理由をあれこれと並べても「神子
さまに何かあったら大変です」と、優しい笑顔を浮かべているのに頑として首を縦に振らない。だからといって、こっそり部屋を抜
け出しても、庭で迷子になるだけだ。
 三日と空けずココを訪れていたのにどうしたのでしょうねと、含みのある友雅の笑みに乗せられた振りをした。広いといえど邸
という限られた空間に息苦しさを感じていたし、いつもならば顔を見せなくても式神を忍ばせるのにそれもない。良い口実ができ
たと軽い気持ちで泰明を訪ねたことで、安倍晴明邸から出られなくなるなんて、どうして想像できようか。






 門番がいなくとも門が開閉すると聞いていたけれど、無人ならば泰明とどうやって連絡を取ればいいのだろうと悩んだことは無
駄になった。門を塞ぐよう、泰明が仁王立ちしていたから。
 出された白湯を大事そうに両手でつつみ、ひたすら自分の膝をながめている。正面に坐している泰明から、言葉を口にする気
はないようだ。
「文も、使いの者も出さず、勝手にお邸を訪ねたのは悪いと思っている。泰明さん、最近顔をみせないから心配になって」
「方忌みだ」
 びっくりするくらい、冷たい声で言った。形のいい眉を寄せ、怒っているを通り越して、なんだか困っているようだ。
「あっ、そうか。ここから土御門邸に向かっては、方位神がいたんだ。いくら泰明さんでも方違えでは、どうすることもできないもん
ね」
 そうだよねと、手にしていた白湯にようやく口をつけた。
「鴨川に現れる百鬼夜行を追っているから、日中も準備に時間をあてていた。方忌みは私ではない、神子のほうだ」
「えっ、私が……」
 方違えが必要なら土御門邸を出る際、行く先を告げた友雅にとめられたはずだ。都の独り歩きは褒められたものじゃないと、邸
の門からひょいと顔を出すだけで大事になる。「泰明は、都中に式を放っているという噂だから、供をつけなくとも大丈夫でしょう。
何かあれば、血相を変えて駆けつけるはず」と、一人で泰明の元へ向かうことを勧めているような口ぶりだった。盛んに方違えが
行われている時代に、復路を考慮しないということがあるだろうか。挑発的だったり警戒心に欠けた友雅の言葉を心の中で繰り返
してみると、方違えに敏感だからこそ、あかねが安倍晴明邸から帰れなくなる日を選んだのではないかと思えてくる。友雅の策に
乗せられたフリをしたつもりが、思いっきり嵌められたんだ。
「顔が紅いが、熱でもあるのか」
 ずいと膝を進める泰明に向って、
「そっそれは、西日のせいよ。あたしは大丈夫、土御門にいるよりココの方がずっと安全だし」
 と、あかねは胸の前でぶんぶんと手を振った。
「師は兄弟子を連れて比叡山に籠っているので、鴨川にでるという百鬼夜行を私一人で引き受けた。邸には、北の方と神子の二人
だけだ」
「でも結界が張ってあるんでしょう。泰明さん、心配しすぎよ」
「結界を張ったものが遠くなるほど、力は半減する。案ずるな、神子。式を多く置いて行くから」
「はぁ……」
 案ずるなと言う割に心細くなる材料を並べるだけ並べて、泰明は邸をあとにした。入れ替わるよう北の方が唐菓子を持って部屋を
訪ねてきてくれたことに救われた。流行りの歌や物合せ、都の噂で盛り上がり、高燈台に油を足すほど楽しい時間を過ごした後は、
居心地が悪いと思えるほど部屋が無意味に広く静かに感じられる。戻らない泰明が妖相手に手間取っているのではないのかと、不
安がよぎる。上掛けを肩まで引き上げ、寝がえりをうったときだった。足音も衣ずれもなく突如として現われた人の気配に、体を起こし
た。
「泰明さんでしょう」
 御簾の向こうの空気が揺らいだ。
「起こしてすまない」
「どうして謝るの、私が勝手に起きていただけなのに。よかったら、すこしだけ話をしない。枕が変わると寝られなくて」
 気をつかわせることなく、確実に部屋へと導くよう呼びかけた。あかねだけが知る温かい気が、御簾へとさらに近づく。
「丑の刻が過ぎようとしている。休んだ方がいい」
 手に取るようはっきりと感じていた泰明の気配が、ふつりと切れた。ここを去ったわけでも煙のように消えた訳でもない、気配だけ
を殺したのだ。御簾越しだけれども守られているという安心感に、あかねはとろとろと眠りに落ちた。









 鴨川の百鬼夜行のことや昨夜部屋を訪れたこと、ちゃんと休んでいるのかと聞くはずが、門まで見送くるの見送らないので泰明と
押し問答になるなんて思いもしなかった。
「私は泰明さんの力になれない、ここにとどまることしかできないんです。せめて門まで見送らせてください」
「土御門と違って、庭で迷ったら厄介だということを知っているだろう」
 あかねを少しもみようとはせず、先へ先へと歩みをすすめるている。本当に嫌なら、結界でも式神でも使って部屋に閉じ込めたら
いいのに、それがないから腹立たしい。本当に腹立たしいのは自分の無力さだということもわかっている。
「泰明さんのこの式神が、ちゃんと案内してくれるから大丈夫です」
 手の平の子ねずみをギュッと胸元で抱いた。
「小さいものは、神子を退屈させないようにするためだ。神子を守れるのか、そう思うだけで私は……」
「えっ」
 なにを言おうとしているのかと考えただけで、胸がちぐはぐな音をたてる。
「百鬼夜行の調伏に向うだけだ。その為に、見送られたことがない」
 泰明が手を翳すと、音を立てずに門扉が開いた。顔だけをゆっくりあかねに向けて、
「早く戻るよう努める」
 と、いった。逆光を浴びた泰明は深い影で覆われ、どんな表情をしていたのか窺い知ることは出来ない。みえなくとも、あかねの
知らない泰明が一つ加わったことには違いなかった。








 部屋に戻ってあかねがしたことは、北の方に半紙と筆を借りたことと、式神―子ねずみ―に泰明の部屋から巻物を一巻持ってき
てもらうことだった。部屋を横断するよう巻物を広げてみたけれど、必要とするものは見つからない。
「あなたのご主人にとって私が知ろうとしていることは、朝起きておはようっていうくらい簡単なことみたい」
 子ねずみの頭をつつくと、くすぐったそうに片目を閉じた。
「でもね、泰明さんのそばで何度かみたことあるから、うっすらだけど覚えているのよ」
 半紙いっぱいに円を描く。円に接するよう星型を描きながら、天部の神や十二支が必要なのよねと小首をかしげた。子【ね】から
順に十二支をあげることはできるけど、どこにどの支を書きくわえればいいかを思い出せずにいる。この円はなんだかいびつだと、
書いた半紙を丸めては書きを繰り返す。
「ねえ、これはどう。我ながら上手くできたと思うんだけど」
 筆をおいて、半紙の両端をぴんとして子ねずみの前に差しだすのに、小さい前足でしきりにヒゲをなでるだけだ。何かを感じたの
か、子ねずみがつと顔を上げた。みているのは御簾だけれど、その方角には表門がある。板がきしむ音が、ずんずん近づいてくる。
「神子っ!」
 御簾を乱暴に巻き上げた泰明に、ただならぬ事態を思わずにいられない。
「えっと泰明さん、おかえりなさい。なにかあった……」
 確かに自分を呼んだのに一瞥もくれず、あかねの最高作品を手にしている。
「これは、神子が書いたのか」
「そうだけど。ほらっ毎夜百鬼夜行を相手に大変なのに、私は何も手伝えないからお守りというかお札というか、これを書いて少し
でも泰明さんが楽になればいいなって」
「陣の取り方が、間違っている」
「へっ……」
「線の長さも太さもそうだが、なによりここは子じゃなくて午だ」
 半紙に書かれた星型の頂点を、泰明が指さして言った。
「十二支の始まりは子だから、きっとそうだと思ったのに違っていたのね」
 あははっと、笑いながらちらと泰明を見たことを後悔した。怒っている、それも今まで見たこともない険しい表情であかねを見据
えている。
「龍神の加護を受けているから、五芒星が正確じゃなくとも効力はある。今宵に限って百鬼夜行の数も威力も増したのはそのた
めか」
 額に手を置きふうと重い溜息をこぼした。
「まさかそんなことになるなんて」
「神子の力は大きい。誤った使い方をすると、取り返しのつかないことになる。ましては、私のような者を想って使うなど――」
「泰明さんだから、力になりたいと思ったの。それなのに、こんな結果になるなんて。えっ、鴨川にいなくて大丈夫なの?」
「式神を置いてきた。これを消しされば、問題ない」
 手のひらにのるくらい小さく畳んだ半紙に、泰明がぶつぶつと呪を唱えると、ぽっという音をたてて燃えはじめる。
「明日、北山へいこう」
「へっ……」
「北山から土御門へは、方位神はない。花が必要なら、庭へおりたらなにがしか咲いているはずだ。他に入用なら、北の方に頼
んでみる」
 あれから全く口にしなかったけれども、天狗のことを気に留めていたことに泰明の心の成長を顕著にみたような気がした。嬉し
いようであり、どこまで変わってしまうのだろうという不安も感じる。
「それなら、札を二枚書いてもらえますか」
「構わないが、札の効力は数を増やしたからといって変わるものではない」
「一枚は北山に、一枚はお守りとして私がもらおうと思って」
 胸元から取りだした白紙に、流れるようつらつらと書きいれていく泰明の手をぼんやりとみつめていた。複写したのかと思える
ほど、全く同じ二枚の右の方を差しだした。
「これは北山に持っていく方だ」
「じゃあ、こっちをもらっていいのね」
 あっと、あやうく声をあげるところだった。五芒星の書かれた左下に、細くて形のいい文字で「あかね」とあったから。懐紙で筆を
拭っている泰明に「ありがとう」と言うべきなのだろうが、いたずら心が疼きだす。百鬼夜行の様子を教えてもらうことで少しでもこ
こに引きとめようか、昨夜自分が眠りに落ちるまで御簾の向こうにいたことを問いただし反応を楽しもうか。
「泰明さん」
 ゆっくりと顔を上げた泰明をみて、紡ぐ言葉がきまった。    








:: あとがき ::

「遥か」初書きは、泰あの二人でした(笑)「遥か1」で私の中に占める好き好きキャラは、頼久と泰明のシーソ
ーゲーム。その時の気分によって簡単に、心の天秤が傾くのです。今回書いた泰明×あかねは「遥か4」の
那岐をみているうちに、泰明がとっても恋しくなり勢いで作文したのでした。
大好き!!=作文し易いにならないということを、痛いほど感じたり。
無口なキャラって、難しいです……。科白にとっても、気をつかいました。
泰明を書くなら、陰陽師で頻繁に使用される五芒星と決めていて、そのままだとおもしろくないので、あかねが
描いたほうが面白いかなと^^作文にグッズを使うことが大好きで、リアリティを出すためにところどころきちん
とした描写を入れた方がいいだろうと、調べモノの旅に出たらなかなか帰ってこれず(苦笑)苦手なのですよ、
調べモノ。遠回りしたぶん収穫もあって、方違えを方忌みといったり、A→Bに向かうにあたって方位神があるか
ら方違えが必要ということを知り、しっかり使っていますよ作文でv
師と兄弟子達を比叡山に追っ払い、北の方は別棟にいると思うので、安倍晴明邸で実質、泰明とあかね二人
っきりだったりします。愛しい夫の帰りを待つ新妻仕立てだったりします。が、甘さの欠片も出せないので、最後
にあかねを小悪魔風にして、軽く仕掛けてみたり。でも、この二人に妖しい雰囲気なんてどう逆立ちしても想像
できないのですよ。一晩中、あれこれと話込んだこと間違いないのですが、男女の進展ゼロで北の方はもどか
しがっているに違いない!←北の方、のぞき見中だと思われる(笑)











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