野営後夜  








 次々に入る失った兵の報告を、アシュヴィンはどこか遠い気持ちで聞いていた。
 戦は生き物だ。同じことを繰り返すことはないから、どんなに敗因を並べてみてもそれは結果にしか過ぎない。
 敵の前衛をあっけなく崩したことで勢いがつき、軍を絶ち 割るように馬を駆けさせた。面白いほど馬から敵兵が落ちていく。落せる、そう思ったとき目の前に隙のない兵 が立ちはだかっていた。肌をさすような闘気をみなぎらせた、精鋭の集団だ。迷わず撤退の合図を出したが、 敵兵が囲むよう側面から後ろに回り込んでいた。
 策に嵌められた。自分がかっとなり指揮を誤るのを、待っている だろう。それだけはさせまいとわずかに緩んだ陣に自ら突っ込み、剣を振るうことに徹した。
 勝ち急いだ。それは失うものをもった証だろう。
 激戦のあとは互いの兵が疲弊するのを嫌って、夜襲はない。それは長期戦であるほど、間違いなかった。 「夜明けまでに戻る」従者にそう言い残して、篝火の赤々とたかれた野営を発った。





 宮内は眠ったように、静まり返っていた。自室を通りすぎ、まだ数回しか訪れたことのない部屋の扉を、なんの断りもなく 開け放った。
「戦は、終わったの?」
 千尋の怯えたような疑っているような弱々しい声に、凶暴な心に火がつくのがわかった。足音でわかったのだろう、 ベッドの前に静かに立っている。落ち着いた立ち姿と慌てて纏めた乱れの残る髪の不調和が、アシュヴィンをさらに煽った。
「会いたくなった」
 それだけを言うと、千尋にもつれるように抱きついた。
「怪我をしているんでしょう。傷の手当をしないと」
「掠り傷だ」
「傷をみせて」
 戯れとは明らかに異なる力で、抗っている。千尋の心なのか身体なのか、その両方なのか、千尋を欲していることに 違いなかった。
「血にまみれた俺は、嫌いか。それとも兵を置いて野営を抜け出してきた臆病者は、受け入れられないか」
「どうして仲間を信用しないの」
 しばらく千尋がなにを言っているのか、わからなかった。それほど、自分を見失っていたのかもしれない。
「厳しい調練を積んで、いくどとなく戦に出ている。兵一人一人の顔や名はもちろん、出身地や得意とする武器まで わかっているのに、どうして任せられないの」
「俺が前に出なくて、どうする」
「すべて背負いこもうとするのは、アシュヴィンの悪い癖よ」
「敵将の首は、俺が取りにいく」
「同じように、相手も狙っているのよ。アシュヴィンに、もしものことがあったら」
 背にすがるようにある千尋の手を、はっきりと感じた。同時に常に纏わりついていた乾きが、和らいでいく。
 中つ国の二ノ姫という妻を娶ることは、常世を統べる方法の一つだった。婚姻という形だけを必要としたので、 千尋に望むものはなかったし、何かを求めたこともなかった。それなのに戦に勝つことで、千尋の気持ちまでも 手に入れようとしていた自分に驚いた。
「私の話を、ちゃんと聞いているの?」
「今宵は、いつになくしおらしいなと考えていた」
「からかいに来たのなら、早く出て行って」
 拳でアシュヴィンの胸を叩こうとする、千尋の手首をつかんだ。
「何事もなくここを出ていく勇気とはどれほどのものか、それをわかって言っているのか」
 はっと目を見開いたあと、千尋はどこを見るともなく視線を泳がせた。
「さて夜襲をかけてから、陣にもどるか」
「私の話を全く聞いていないじゃない」
「いつ戻るかわからない。必ずここに戻る、それは約束する」
「アシュヴィン……」
「そんな目で俺をみるな。ここを離れられなくなる」
「私は、真剣にアシュヴィンのことを心配しているのに。そんなことを言うのなら、今度戻ったら宮から絶対に出さないから!」
「悪いが今度戻ったら、千尋の部屋から出るつもりはない」
 もう行くぞ、千尋に背を向けると軽く右手を上げた。「アシュヴィンの馬鹿っ。一人でずっと野営をしていたらいいのよ」という 言葉を背中に受けながら、部屋をでた。
 身体を横たえる場所としか考えたことがなかった。馬を止め、振り返る。月明かりのなか、浮かび上がるようにある宮を眺めていると、 帰る場所と思えてくるから不思議だ。千尋の部屋にあたる窓に、人影をみたような気がした。駆け戻りたくなる衝動をかき消すよう馬腹を蹴り、真っ直ぐ野営をめざした。











○● あとがき ○●
戦しか頭にないアシュヴィンが野営を放置して、千尋の元に駆けつける話です。 軍人あるまじき行為だけど、それほど千尋に夢中なのです(笑) と書くと、女子に現を抜かす軟弱モノにアシュヴィンが見えるのですが、そうじゃないのです! 千尋のところに早く戻りたいという気持ちの強さが指揮ミスにつながり、多くの兵を失うことに。 なんとしてもこの戦に勝利したい、そのために気持ちを切り替えようと、気がつけば本能のまま 千尋を求めていたのでした。獲物を狙う猛禽類のような アシュヴィンですが、攻め全開だとR指定になりそうだったので、攻め50%くらいに抑えました。 気持いいほどストレートに発言するのと同様に、引きもいいですよ、うちのアシュ(笑) 常世と千尋を天秤にかけているのではなく、常に自分の置かれている立場をわかって行動しているのでした。 そのへんは千尋にしてみると、もどかしいはず(苦笑)











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